“偶然”という概念にしびれる。可能性を感じ続けている。たぶんそれは、意味づけを極力排しながら現象それ自体の認識へと到ろうとする古今の神秘思想に通じるものがあるからだと思う。なんつーの、言語以前の感慨に留まりつつ世界それ自体をじ〜んと感じてみようよ!っていう情緒?的な態度というか。わかりにくすぎてごめん。*1

*1:もちろん”偶然”もまた言語であり記号化の所産だけれど、そういうのを内側から食い破ってこうとする心意気みたいなものはやっぱり感じちゃうわけです。ますますわかりにくい。