「~しておきます」
「~しておきますね」

 

この違い、言葉の最後、たったひとつの”ね”を言えるようになるまでに、三年近くもかかってしまった。図らずも口にしたその言葉で、自分がすでに回復している事に気が付いた。もう大丈夫。おれは克服したし、どってことない。また、おれ、って言っちゃった。

 

なんだか長い間、妙な病が世界を覆っていたようだけど、その間ずっと、ひたすら体を鍛え、呼吸を練り、それまで興味がなかった現実世界の勉強を続けていた。引っ越しを二回し、ラジオを聴き続け、変な猫と友達になった(態度もガタイもでかいから、マツコと呼んでいる)。

 

体はとても丈夫になった。中心にあるのは呼吸法だろう。結果も求めず、理由も分からず、何ゆえかばかみたいに続けていたら、いつの間にか元気になってた。武道や伝統芸能なんかで

 

「立ち方三年」
「握り方三年」

 

みたいに言ったりするけれど、三年、というのは、体の中で何かより深い変化が生じるには、少なくともそれぐらいの時間は必要だよという、最小の単位なのかもしれないね。それでは、また、三年後。