武蔵が引退した

ああそうだ思い出した。初めて武蔵を認識したのは14年前の夏、格闘技通信の記事じゃなかっただろうか。マスター・イシイの秘蔵っ子とかいう内容で。アンダーグラウンドからメジャーまであと二歩ぐらいのとこまで迫ってたK-1率いる館長や佐竹のギラギラ感とは対照的に、なんだかぼんやりした感じのお兄さんだったので、「大丈夫やろか…」とおれは少し心配した。十六歳という、家族と仲良く過ごすには微妙な年齢のおれは、無理やり連れ出された家族旅行の道中にひとり格通を読みふけっていたからなんか印象に残ったんだと思う。ちなみに旅行では、出雲大社の入り口でおれが突如風邪でダウン、おれ以外のみんなは温泉とそばを楽しみました。

デビュー戦でパトリック・スミスを斬って落とした左ハイの尋常じゃない伸び方に「体が柔らかいんだな…」と感心したのを憶えてる。西田操一の胴回し回転蹴りをかわした完璧なダッキングに「眼がいいんだな…」と瞠目したのを憶えてる。スタン・ザ・マンとかシカティックとか強化人間みたいな連中とばかりカードが組まれる度に、瞬殺されるんじゃないかという危惧をよそになんとなくいい戦いをしてしまう武蔵は、華はないけどつかみどころのない、うなぎのような選手だった。

おれはディフェンシブなファイターが好きだし、あの階級で日本人がゲルマン人型戦闘サイボーグ達に比喩ではなく殺されずに戦い抜くには、あの戦法しかなかったことはよく理解してる。武蔵の資質もそのスタイルに最適なものだったと思う。でも世間のふつうの人はそういうことには興味ないし、そういう人たちが多数を占める観客相手に食っていかなきゃいけないのは、メジャースポーツ特有の苦労だと思う。才能と状況から考えても初めから玄人受けするスタイルを培うしかなかった武蔵は、後年の「日本のエース」みたいなポジションではなく、花形のとなりでマイペースに判定勝ちを拾い続ける味のある二番手ぐらいの方が本人にとっても気が楽だったんじゃないかな。あるいはアマチュアとかマイナーな世界だったら、ひとりの天才的な競技選手としてけっこう幸福な現役生活を続けられたような気もする。まあ2000年以降は格闘技ほぼ観てないので、その間武蔵がぶいぶい言わせてたのかもしれず、えーっと、そうだったらゴメンねみんな。

まあ結局のところ武蔵のキャリアっていうのは、本来主役に向いてない人が興業上の理由で主役を張らざるを得なかったという、格闘技のメジャー分野としての未成熟さの問題とけっこう表裏でもあるので、そのへんキャラ設定とかは真逆でもボクシングの亀々三兄弟の問題と本質的には似通うところがあるんでしょうね。亀やんだってほんとうは玄人受けするいぶし銀のファイターなんだよ。足つかってジャブとか突いて逃げれるんだよ(かっこいー!)。だからそのへん格闘技界は、プロレスから学ぶところがもっとあるはず。選手に変な無理はさせずに、各人の資質にあった見せ方でハートを掴めばいいじゃない。その方が怪我も少なくて済むじゃない。もっとなあ、選手の体を大事にしろって!

いかに天才的に防御がうまくても、14年間に渡ってバトルサイボーグ達のロケットパンチや超合金キックを受け続けてきた武蔵の体は壊れるとこまで壊れているのが現状だろう。脳みそだって豆腐みたいになっているんじゃないだろうか。ゆっくり休んで体を芯からいやしてほしい。おつかれさまでした。