エチカ

原発のたまり水のニュース。あえてこういう言い方をするけど、なんだかもう地獄の口がぱっくり開いてるとしか思えない。原発問題に関してはもちろん「冷静な言述」や「科学的かつ客観的な判断」が一般的には推奨されるわけだけど、個人的にはもはや宗教的な…

せっかく帰省してきたので、祖母、母、叔母、おれでお食事へ。瀬戸内海を見下ろすレストランでひとしきりご飯を食べると、祖母は店内で寝息をたて始めた。 昨年あたりから少しずつ意識があいまいになりつつある祖母は、孫の名前とか時々忘れる。見栄や世間知…

目上の人と話す時の一人称。「私」はしれっと使えるのに、「自分」て絶対言えないなあ。なんでだろ。体育会系っぽいからかなあ。

たけし軍団出身の某知事に顔がよく似てる人を知っているけど、本人はすごくノーブルな感じで知事とは真逆。おれは人間の品性とか上品さにすごく興味があるけど(誇示されるものは欠如を表す)、上品な人は一体どうして上品なのかしら。

そういえば、そろそろ風邪やインフルの季節だ。野口整体系の健康法が好きな人は、概して風邪ひくことに抵抗感がないものだけど、おれも毎年この時期は予防接種受ける受けないで会社とモメてたなあ。。今年は心おきなく感染できそうで楽しみです(ファナティ…

さいきん私生活でしみじみ感動したのは、かわいさに国境なんて関係ないぜ☆ということです。自分の周りにもポリティカルなあれやこれやに心を奪われ、ご近所さんを軽く見る人もいたりするけど、いっぺん惚れてしまえと思う。

うふふ。今日はいい酒席だった。いろんな年代の人が集まり(おれが最年少)、敬意を保ちつつなごやかに打ち解ける感じが素敵な時間でした。大人のお酒に、子どもがひとり混ぜてもらった感じです。若者同士とか(つかもうおれ若くないけど)、仕事絡みの飲み…

メタファーとしての鼻毛と鼻血

自分の鼻毛が覗いている可能性を忘れることなく、また鼻血を流すことを厭う思想を警戒する。そういうオヤジにおれはなりたい。

また型について。手を絞る動作と腰を入れる動きが同期する感じが少しずつわかってきた。手の力を抜くにも関わらず、出力がぐわっと上がる。こういうの剣道とか合気道とかの人には当然のことなんだろうな。よく言われることだけど日本のいろいろな芸事がやれ…

今年の目標は、間違いに気づいたらさくっと訂正できる人間になることです。うん、決めた。あと一ヶ月がんばろー!

たとえば失恋でもなんでもいいけど、どこにでもある悲しい話をよく知らない人から聞かされても、あっそうって感じだけど、全く同じ話を仲の良い人から聞くと心の震え方が違う。言ってることは同じなのにね。その人を知っていること、何らかの関係を持ってい…

人の批判になるとすいすい言葉が出る、走る。はは、おれ性格悪い。

年配の方が謙遜を超えてなにやら卑屈な感じになると、なんだかこちらまで、しゅんとしてしまう。おれもかなり卑屈だし自虐ネタは大好きなんだけど、歳とってからそういうのしてると周囲にも陰を落とすようなので、これからすこしずつでも自信をつけていきた…

これけっこうきついんじゃないかなあ、って感じに体がよじれた状態でも、目が澄んでる人もいる。自分の中の邪悪なものを体のせいにばかりしてはいけない。

人間の徳について考えている。近いけど、魅力、とは少し違うものみたい。例えば、集団の中でぴかぴかしたポジションにいるとか、ブライトな感じであるわけでは必ずしもなく、むしろ一切そういうのとは無縁だったりもするけれど、しかし静かにみんなの気持ち…

開かれてるって、対話的であることって大事だよね。閉じてるやつはぺしゃんこだよね。って態度が一般的には推奨されがちだ思うけど、真に生産的な対話には結構な度量が必要だよ。「言われてみれば拙者の申す所、いささかの非あり。これは失礼つかまつった。…

答えはきっと後から付いてくると思う。

おれもずいぶんマニアックなものが好きだったりするんだけど(古い整体とかな)、本当に宇宙でただひとり自分だけがこれを好き!というカタチで何かを愛好したりってできるのかなあとふと思う。「世界のどこかにいるであろう、まだ見ぬ同好の士」を想定する…

実用的な思考は精度より速度がものをいうのではないかと。誰かを傷つけないためとか、そんなデリケートな問題においてさえ。

他人をちゃんと感じることのむずかしさ。目の前にいる人でさえ。あたまがいつも余計なことでいっぱいだからな。

日々の生活の中では、興味があろうがなかろうが、意味があろうがなかろうが、フルパワーで凌ぎきらないとゲームオーバーになってしまう局面が何度でも、というか結構な頻度で襲いかかってくるけど、そういう時、訓練をする訓練を過去に充分に積まないまま大…

世の中には確実に「おれが、おれが」の人たちが一定数生息しているので、やむを得ない事情によりそういった方々との接触を余儀なくされた場合は、忍術でも処世術でもなんでもいいから全能を駆使して、可能な限りあたりさわりのない対応に終始し、彼らの意識…

所作に嘘が露呈しているところを見た。動きの限界が心の限界であるのなら、可能な身振りの範囲の内では、優しい人間にだってなれるのではないか。

より人に影響されるよう。

ときどき何かの拍子に胸を震わせるような特別な瞬間が訪れると、このこれこそが本当の時間なんだって思うけど、いつものぼんやりとした生活に戻ると、これはこれで本当だよな、とも思う。

自分の中に他人の影の少ないことを好ましく思う…ガキ 自分の中に他人の影の少ないことをむなしく思う…人類

いつだって世の中では暴力の気配が高まってるけど。今日は街でチンピラとヒマそうなおっさんの喧嘩を見ました。どちらも怯えながら威嚇しつつ、落とし所を探る感じで。見栄を保ちつつ直接攻撃を回避するのは文化的だなと思ったけど、じゃあなんの為にアヤつ…

たとえ社会的にあまりぱっとしないとされる職業に従事している人であれ、何十年も人間界で生きてきたプロの生活者であるところのそこらへんのオッサンオバハンから見れば、おれはまだまだハナタレ小僧であるなと思った。しくじっても可愛さで許してもらえる…

やはりいろいろとやる気がないので、いい方向に向かって他人に流されていけたらなと思う。

万事受け身で生活に変化が乏しく、また、そういうあり方に自足しているところもあるため、誰かに強引に駆り出されることぐらいしか、未知の経験に開かれるきっかけがない。最近では、めんどくせーと思っても、なるべく他人の要請には応えてみようかなと思う。