おれは(自分では正当であると思える)要求を人に訴える時に、なるべく感情を排して理詰めで臨み、これはおれの意見であっておれの意見でなく、むしろその妥当性の故に天意であると言ってよく、あまねく人民はこれに従うべきである。と人の道から説き起こすよう常々心掛けているのですけど、そんな迂遠なやり方じゃなくて、端的に「怒っている」ことだけ伝えた方が、あっさり話が通る人もいる。ということにいまさら気付いてちょうびっくりした。

まじかよ。理じゃねえのかよ…