今日は少し早く帰宅して、ふと(ほんとうに、ふと)、五年前に人にもらって以来オブジェと化していたギターを鳴らしてみた。気持ちでチューニングした。

頭の中の曲を心の耳で追いながら次の音を探す、もどかしさとか指の逡巡は、ああこれ気功に似てるなあと思った。どちらも記号を介さずに入力をなぞる努力であり、たぶん感覚との和解じゃないかな。音と楽典の関係は気と言葉の関係に等しい。