禅とか中観仏教的な意味合いでの覚者ででもない限りは、たぶん世界そのものを見るとかは無理なわけで。おれの場合はほとんどいつも予め空想によって世界にある程度色付けをしておいて、それに基づいて自分の態度を規定している。認識はたいてい事後的に空想のもっともらしさを確認するだけで終わりがちだし、現実との接触から生じる関係性もまあ事前の思い込みの範囲におさまってしまう(おさめようとしてしまう)。時々、空想の破れ目からなんだかよくわからないリアルワールドを直視してしまうこともあるが、一瞬あとには別の空想で穴はふさがる(高性能です)。たぶん空想の生起は不可避なんじゃないかなあ。
というわけで空想の方向性を素手で任意にねじ曲げられるように訓練したいと思います。武器などいらぬ。