なつかしいなあオイ!

「なんて静かな闘いなんだ...」
「バカが...キサマには見えてないのか?」
「なに!?」
「ふたりとも攻撃を出し続けている...見えない攻撃をな」
「悟空...]



みたいなやりとりよくマンガにあるじゃないすか。リアルでもありますよ、まれに。


http://www.youtube.com/watch?v=Hq5bsYFURsg&mode=related&search=


この試合の異様さはちょっと映像じゃ伝えきれないし、それを補える表現力もおれにはない、ということを前提にしながらも、懐かしさのあまりあえて紹介。紹介するぜ。おれこれは会場で観たんだけど、ちょっと異常な雰囲気の試合だった。動画だと歓声がうるさそうだけれど実際には声出してたのは舞台下の関係者ぐらいで、一万人以上いた観客席は途中までほぼ沈黙。目の前の、殴り合いというにはあまりに静かすぎるそれに釘付けになってた。緊張感が限度を超えると声なんか出ないというか、意識のチャンネルがひとつになるのね。よもや人間同士の闘争においてこんな静かな空気がありえるなんて、マンガだ、うひゃー!ってそれはもうすんごい3Rだったわけです。


格闘技興味ない人は、もし上の動画観てもたぶん途中で止めると思うけど、まあはっきり言ってパンチとローだけの退屈な展開ではある。だけどこのふたりは技術的には神業レベルに達してて、お互いこの相手以外とやった時はそれは見事な戦いぶりをみせたきた。フィリォはあの体重で閃光みたいなカウンターとばすし数見は数見で歩きながら相手の攻撃全部はずすし。ゆえにそのふたりがやり合うことでしか決して地上に現出しない、これはもう世界最高の凡戦だったわけです、空手的には。


極真っていったら演出ないわファイトマネーないわの勝負偏重集団で、技に色気など求めるべくもない。飛び蹴りかませばちびっ子おお喜びなのわかってても、ローの方が強ければ粛々とローを出し続ける世界。健さんもびっくりの不器用さで、まさに粛々と。そうやって物語なんかを拒みながら、もっと重い世界にひたすら沈潜し続ける。でもその重みが時空の壁を破って、リング(空手はリングじゃないけど)に格闘マンガの浄土空間を開く時が、稀にではあるが訪れる。永い殴り合いをとおして精錬された技術のみが可能にする、調和と静けさあふれる雅楽のような闘争には、菩薩の笑みがよく似合う。リアリズム追求の果ての果ての向こう側に7分間だけ結実した、奇跡というか恩寵じみた技術戦を、生で拝めた幸運と、その豊穣を享受できた当時の自分のヲタの素養に感動した。という自慢げな記事でした。


フィリォさいこう!*1

*1:もうあの、6:4で後足に重心かけた構えの武道くささといい、退がりながらでも相手にプレッシャーかける制空圏の厳しさといったら、明らかにお寺の門とかにいる不動明王だかなんだかに匹敵するレベル。寺に飾れる。という構え萌えという新ジャンル。