地上に咲いた宇宙。であるところのかの中華においては、闘争は引き分けを以って至上と為す。カンフー映画のバトルシーンみてるとよくわかる。長い。攻防がむやみに長すぎる。でも作り手にしてみれば、たぶんあれでもカットしてる。作劇上の必要性から一応決着はつくものの、ほんとうはあれ、永遠に続けるのが大中華的には正当。つまり拳士の対は陰と陽。不断に相克して万物を紡ぐ。だから勝負とかついちゃだめだし膠着や秒殺もNG。だって宇宙が停まるから。永い中国武術の歴史において寝技や一撃必殺の体系が傍流であることを余儀なくされたのは、老荘的にも至極当然の帰結です。ほんとうですか。まあカンフー映画はたとえどんなB級であれ中国四千年の宇宙論として観るのが筋かと。