自分のことは好きじゃないけど誰かのことは好き。誰かを好きでいられる限りにおいて、まあ自分や世界をなんとか肯定できる。


とか


本当に自分自身のために生きるとかはできない怠け者だけど、誰かのためになんとか頑張っていっぱいいっぱいで生きのびている。


みたいな、そういうのって、世に推奨される近代的自我の確立って観点からすれば脆弱な自我のありかただと思う。自己完結的な人格のもつ研ぎ澄まされた輝きに及ぶものではない。


だけど、他者によりかかることでかろうじて維持されている自我の方が、フラジャイルである分うつくしいとは思う。弱さの安易な肯定は危険であるとわきまえている上でなお。