他人に対する敬意が伴わなければ、待つ、という行為は成立しない。待ちに徹しようとするならば、その過程で何度でも相手に対する自分の感情を問われ、試されると思う。卑近な例を挙げれば、こちらが電話に出られない状況で何度も着信を入れられるのが、たとえ親しい相手であってもおれは非常にいやである。という、器の小さすぎる話でした。