外部を欠いた自己認識があり得ない以上、どこかで差別意識が生じるのは不可避であるように思う。「おれ」があるのは会ったこともないのにおれがバカにしてる特定の人々のおかげです!どうもです!!という気が滅入るような心の現実に対して、常に自覚的であることからしかおれのエチカは出発できないなあと思う。ハートがないと当たり前のことするのにもいちいち面倒な手順を要する。