ただ前に出て相手との距離をつめることだけが、励ますとか、手助けするということでは必ずしもないのはよくわかってるつもりだけれど。見ていることに耐えらず単に自分が安心したいがために手を出すことが、相手にとっては時に暴力にもなることは、おれも経験からわかってはいるつもりだけど。


信じているかといわれれば、おれは信じているのだけれど、信じることは何度でも試されながら更新されるのだと思う(思い知らされる)。可能性って過去に対する思い入れとほとんど同義か。