誰かが亡くなるニュースを見てそれについてなんか陰鬱に考えてたら昔の友人から突然の電話があり「子供が生まれた」。おめでとう。嬉しかったのだけど、たぶんそれは友人が嬉しがってたことがおれには嬉しかったのであり、ひとりの人間が生を享けたことそれ自体に対しては、たぶんあんまりリアリティを感じてない。同様に誰かが亡くなることに対しても。単にそのどちらの現場にもおれはまだ立ち会ったことがないから、そんなふうに希薄に感じてるだけ、なんだろうか。それとも実際その場に居合わせても、対象が特別な誰かで無い限りは、おれは本質的には心が動かされないのだろうか。


自分自身も確実に生じたり消えたりしてる無数の泡のひとつには違いないんだけれど、そんなこと言われても、それが本当のところどういうことなのか全然さっぱりわからない。アジアのどこかにはシャンバラがあるよ、って言われるのも、あんたの人生そのうち終わるよ、って言われるのも、感慨としてあまり差は無い。もうずっとだらだらと夢うつつで、覚醒したいのにできず、遅刻しそうな気ばかりしてる。


『人生マジ夢だし』とかうそぶくのなんて別にクールじゃないし、たぶん仏教とかもそんなん言う為に考えられたわけじゃない。そんな認識、ゴールじゃなくて、出発点に過ぎないと思う。『幻なんかじゃない/人生は夢じゃない/僕たちははっきりと生きてるんだ』って言い切ったヒロトははっきりとかっこよくて、おれはかっこわるいです。最近音楽きいてない。*1

*1:読み返してみて、相変わらず論理とかビタイチ無い文章で、『夢』とか意味二重に使ってるし、でもなんかもうどうでもいい。