そもそも"本当の"とか"絶対の"みたいなうそくさい冠詞を感情に求めてしまうから不必要にわずらわしくなるんじゃないのか。


などと傲慢に述べたりできるのは、単にそんな強い気持ちをおれが一度も経験したことがないからだ。そういう匂いのしないところへ引っ込んでばっかいるからだ。もうどうしようもなく本当に苦しい好きだ憎悪する助かってほしい哀しいぶっ殺してやりたいとかどれも知らなくて薄い。どうしてこうも人によって経験する感情の強度に差があるんだろう。


今現在どうしようもない感情の波にのたうちまわっている人の目からみれば、この記事の内容なんてほんとにくだらなくて恥ずかしくて他愛ないものだ、というぐらいのことはわかってる。